【多摩市】プレイバック3.11東日本大震災発生当時の多摩市の様子を振り返る〜震災から9年
本日3月11日は東日本大震災発生から9年の日です。
今回は当時の多摩市の様子を振り返ってみようと思います。
平成23年3月11日14時46分 地震発生
宮城県三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生しました。これは、観測史上最大のものでありました。
多摩市では最大震度5弱を観測。市内では当時火災が1件起きるなど直後に数々の被害が出ていたそうです。
・火災 1件
・塀の崩落 2件
・物置倒壊 1件
・橋の一部損壊 2件
・停電 1件
・瓦の落下 13件
・瓦の破損 1件
・水道管からの漏水 4件
・水道タンク亀裂 1件その他 5件
多摩市内に取り残された帰宅困難者
東日本大震災の発生直後、首都圏の多くの鉄道が運転を見合わせていたため、多摩市内でも多くの帰宅困難者が出ました。
そこで市内3駅に留まっている帰宅困難者の受入を多摩市は緊急決定して、パルテノン多摩、関一つむぎ館、永山公民館、関戸公民館に1000名以上を受け入れたそうです。
帰宅困難者の宿泊支援のために、多摩市備蓄の物資を提供しつつ一夜を過ごし、翌朝、全員無事に退館されたのだとか。
その他にも京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターや京王プラザホテルでも、店内や宴会場等の施設を開放するなど鉄道の運行再開まで休憩場所を提供されていたそうです。
町の人々の助け合いの様子が思い出されます。
公共施設では閉鎖措置も行われました
市民なじみの公共施設でも被害が出ていたそうで、関戸公民館や、永山公民館では、ホールつりもの・客席の損傷の発生。
多摩市立図書館の各図書館では、書籍の大量落下。
東永山教育施設の体育館でも体育館ガラスの破損。
貝取保育園や、総合体育館第3スポーツホールでは壁にひび割れなどが発生していたそうです。
大地震発生以降の余震の多発と、公共施設の損壊など不測の事態への予防措置と、節電協力を目的として、2011年3月15日から多摩市内の一部公共施設を閉鎖しました。その後、2011年3月23日から徐々に再開し始めたそうです。
奇しくも9年後の現在、コロナ感染予防措置のために多摩市では公民館や図書館など公共施設が閉鎖されていることを思うと、なんとも言えない思いに駆られますが、”もともと私たちは乗り越える力を持っている”という軌跡と捉えることも出来そうです。
多摩市で6回の計画停電が実施
震災直後の2011年3月は設備被害や原発事故に伴う電力供給低下により東京電力管内で輪番停電実施を伴う電力危機が発生し、多摩市では6回の計画停電を実施しました。
主な停電実施地区は、一ノ宮、落川、桜ヶ丘、関戸、東寺方、連光寺、和田、百草でした。
自分の地域がいつ停電するのか、新聞などで確かめた日々が思い出されます。
復興へ
その後、多摩市内からも救援物資や義援金が多数送られ、市民ボランティアの活躍、被災地への派遣など市民と市が一丸となって復興や今後の対策へ取り組んできました。
先月2月21日から26日には「第11回東日本大震災復興支援応援イベント」が多摩市のグリナード永山で開催されるなど、復興の輪は現在も続いております。
さて、今回は「3・11の多摩市」という観点で当時を振り返ってみました。
今晩はご家族で、当時のことを語り合ってみてはいかがでしょうか?
(さはこお)